高校生になって進路に迷ったり、将来のことを考えた時に「絵が好き」「マンガ、アニメが好き」ってことでこの道に入ることが多いのかな?っと思います。小学生の頃、チラシの裏に描く、アニメのキャラクターを褒められたことが今の自分のスタートだったのかも?さんたもそんな感じでグラフィックデザインの専門学校の門をたたいたわけです。
運がいいのか悪いのか…
時代はバブル終末期、デザインは名古屋で「デザイン博」が開催され、デザイン業界としてもひとつの変革の時だったのではないかと思います。学生の我々も有難いことにそのデザイン博の出展ブースに作品を出展させていただきました(が、まったくその頃はやる気なくでしたが…)。ほどなくして就職活動を始めるわけですが、引く手あまたの時代だったこともあって、どうにかなるさって感じで、就活もやる気なく、3月にようやく残っていたデザインができる就職先に滑り込むことになります。
ここでは中日新聞などの新聞広告や特集記事のレイアウト、パンフレット、中部電力のシールなどなど、なんといってもかなりの下請けでしたからクライアントさまから直ではない、広告代理店や印刷屋さんの仕事がバンバン入ってきました。いわゆるフィニッシャー(版下仕上げ請負人)、正直グラフィックデザイナーとは言えないような仕事です。新人の自分にはとにかく毎日こなす、日々残業の毎日を過ごします。
その頃のデザインの現場
今の若い人(2000年頃からのデザイナーさん)は多分知らない世界。1999年前後からパソコンでの制作が主流になるまで、いわゆるアナログでの版下製作が主流でした。パソコンの前で考え込むと時間がかかるので紙や頭の中でラフデザインを作って、パソコンで仕上げていきますよね?デザインすることは今と変わらないと思います。
しかし、実際にカタチにする工程が今とは全然違います。版面はケント紙(もしくはトンボの入ったレイアウト用紙)です、そこにトンボもしくは枠をロットリング(ペン)で目安になるとこを書き入れます。これが台紙を切るという作業です。そこから、文字は写研という会社が主流で写植(写真植字)しかない時代。この文字もすべてデザイナーが書体、フォント、サイズ、斜体など(当時はQ数といった)を指定。写植オペレータさんにお願いして文字を印画紙に現像してもらいます。運よく入社先には手打ちの写植機と電算写植(現像は専門の業者さん)がありましたので、外部委託しなかった分、時間的な効率は良い方だったと記憶しています。
ほどなくしてバブル崩壊…
それから1年半ほどしてデザインの業界に異変が起こりだします。同級生が会社を首になるという話を耳にするようになったのもこの頃だったと記憶しています。運よく、バブルにはあまり関係ないような零細の会社に就職したことで、余波を食らうまでにタイムラグはありましたが、あれだけバンバン来た仕事も徐々に減り始め、バブル崩壊の影響を感じるようになります。それでも残業はそれなりにある、それでも残業しても支払ってもらえないという切実な現実でした。
この間に得た経験
他のデザイナーさんのデザインしたものをカタチにすることはこの文面をみると「やらされてる感がある」と思うかもしれません。でも、そうではないです。このフィニッシュという仕事は今の自分の礎になっていることは間違いありません。お遊びに近い専門学校の授業や卒業制作などでは味わえない経験を得ることになります。無駄なことなどありません、もし同じような環境で働く新人のデザイナーさんは今ここで腐らずに「前向きに取り組むこと」を忘れずに取り組んでいただきたいです。
●さんたからの助言
今からアナログのデザイン業界を体験することはできません。しかし、現在のデジタル環境の職場においても下積みだと感じるような作業をしている若いデザイナーさんもいると思います。しかし、その作業絶対に役立ちます。志を高く持って目の前の仕事に取り組んでくださいね。かくゆう、私の好きな作業はロゴとかのトレースです。勉強になりますよ(^^)
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