その2 ~転職~豊橋に帰るまで~

 どうにも滞る収入、当時、名古屋で一人暮らしをする自分にとっては死活問題。やむなく転職をします。働きながら、転職情報誌を日々眺める毎日。そんな中に飛び込んできた「グラフィックデザイン」の文字(^^)!!迷いなく、連絡して転職に成功します。

あれ?グラフィックデザインは??

 フタをあけてみれば、図面、什器加工、現場…グラフィックデザインはどちらという職場でした。というのも再就職先はスーパーマーケットの内装監理がメインの仕事。グラフィックはたまにあるゴンドラ(商品陳列棚)の上に飾る看板のようなデザインだけだったのです。
 約2年の間に名古屋を中心に、西三河は知多半島の先端近く、三重県の四日市…日々現場管理の毎日。何度かケガもしましたし、朝は早くて移動が多くて大変でしたが、今となればここでも経験に無駄はなかったと感じています。

現場で学ぶ、できない経験

 スーパーマーケットの現場監督の仕事…建築やら設計、畑の違う仕事でも、今となってはめちゃめちゃ良い経験になっています。まず、不動産系のチラシやパンフレットに掲載する「間取図」がわかるようになりました。壁、扉、サッシのおさまりがわかるのです。それは、解読できないような汚い図面や細かい収まりを、チラシレベルでできるだけそれっぽい間取図が描けるようになったこと、そしてそれは現在、現調が必要な看板の仕事に活きています。

 何より職人さんの目線で「仕事」を気持ちよくしていただける配慮が身につきました。これはどんな職種の方に対しても対外的な関係を築いていく上で必要な経験なのです。パソコンの前で一生を終えるつもりのない、独立を考えているデザイナーさんには他の職場での経験を積極的に身に付けて欲しいと思います。

最後に最高のプレゼント…

 いろいろなタイミングと二度のケガの対応に不信感を抱いたことでこの職場も離れる決意をします。地元、豊橋に帰ることになったのです。もちろん、お世話になった職人さんにも最終日のご挨拶です。
 いろいろな職人さんに御礼とご挨拶する中、天井や壁を貼る軽天屋の職人さんに声をかけます。このお二人は、とにかく見た目から威圧的でとても怖かったんです…「ここの収まりは?」とか「どうするんだ?」と聞かれるたびに「すいません!電話ですぐ確認します!」と公衆電話に走る!走る!ビクビクしながら対応していたんです…きっと「使えねー奴だと思われてるんだろうな。」と思っていました。だから正直、苦手でした。これも最後だと心をこめて「お世話になりましたっ!」と頭を下げました。そしたら「おまえ、どっか決まってんのか?よかったらうちに来ないか?」「?」えっ~まさかのスカウト(ToT)!!
地元豊橋で就職が決まっているので…と丁寧にお断りしましたが、心の中では「うれしい!泣きそう…」でした。朝10時と昼の3時の自腹でお出しした缶ジュース、職人さんが帰った後の翌朝気持ちよく作業していただくための現場掃除。当たり前のことをしてきたことを認めてもらえた瞬間でした。


さんたからの助言
 今からアナログのデザイン業界を体験することはできません。しかし、現在のデジタル環境のデジタルの職場でも「下積みだと感じるような作業」をしている若いデザイナーさんもいると思います。長いサラリーマン人生を経験してきたのでわかるのですが、働いていれば多かれ少なかれ、大なり小なり不平不満はいろいろと生まれてきます。しかし、腐ってする作業も前向きに取り組む作業もやることは同じです。だったら前向きに取り組む方が、経験値も疲れの質が違うと思います。同じ時間や期間をどちらで過ごすかは自由です。小さな努力を認められることは仕事をしていく上で、給与と同じぐらいの価値があると思いますよ。かならず見ている人はちゃんと見ています。

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