本社に呼び出されて本社復帰の条件は「デザイン室のチーフ」の承諾でした。実はこの頃、デザイン室の空気は最悪で先輩方は我関せず、後輩は腐りきって先輩をなめまくってる…みんな独立していて誰も誰かを助けない、自分勝手に知らん顔してる。つまりは立て直しをしろってことなのか?と今思えばそんなことだったのかもしれないです。同時にフリーペーパーを新たに出版するっていうのも目論見の中にあったように記憶しています。
鉄は熱いうちに
復帰を決めて行うことは1つです。とにかく早く状況の確認、毒出しと解決策の策定。仕事の回し方とかもろもろの指針の作成です。この指針を元にデザイン室を良い方向へと向かわせる。日韓ワールドカップ開催中のころ、その時期にマイコプラズマ肺炎で入院した長女の病室でノートパソコン片手にこれからのデザイン部の指針を作った記憶があります。会社側に承諾を取り、デザイン室のメンバーにも説明してチーフとして新しい生活をはじめます。
できるから。
その当時は週刊もののミニコミ誌を3誌、豊橋と豊川の求人情報紙が毎週ありました。他にも新聞広告、チラシやパンフレットなどの仕事もある中、月刊のフリーペーパーの創刊を同時に進めていました。先輩を含む、少数精鋭6人のメンバーには「みんなで協力すれば、絶対に定時に帰れるようになる。仕事は大切だけどプライベートも大切にして欲しい。だからおいらに力を貸して欲しい。」と伝えました。実際のところ、浜松支店でも基本的には定時には帰宅するようにしていました。夜間まで動かない体制を理解してもらうだけのことなのです。
媒体の特性上の残業はありましたが、入稿日を除いて、2ヶ月後にはほぼ毎日定時の6時にデザイン室の灯りは消えます。そうです、みんなで努力して協力し合えば「できること」を証明したのです。みんなに感謝しかありませんでした。その一方で「デザイン部だけ早く上がる…」営業との軋轢は溝を深めていきます。もちろん説明はしてきましたが、最後まで理解してもらえなかったことは今でも残念に思います。。。
軋轢がデザイン室の空気をこわす
自分がこの会社を辞めるまでに、リーマンショックでリストラされたメンバー、軋轢からうつ病になったメンバー、契約を切られたメンバーもいました。不甲斐ないことに最後まで大好きだったデザイン室とメンバーを守れなかったことは心残りです。そんなことが重なり、この会社を去る決意をしたのが、2012年。実に10年前のことです。
●さんたからの助言
「鉄は熱いうちに打て」。
新しいことを始める時、特に人を絡めて何かを動かそう、変えようと思う時は初速が大切です。それが中間管理職であればより重要だと思います。「考えさせる時間を与えない、悪い意味でなく、不安に思わせる時間をなくし、こちらに進むからと指し示す。そしてその道にはこういう結果があるからと一番近いゴールを作る」。実現できた時点で信頼を得られ、賛同してくれることで次の一歩の歩幅が広くなっていると感じると思います。
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